第二部 ジェイムズ経験論の周辺

第四章 ジェイムズによるヒュームの「印象」説批判

Ⅰ 序説

 第一部でも述べたように、ウィリアム・ジェイムズにおける経験論的な考え方のすべてを総称して、「ジェイムズ経験論」と私は呼んでいる。しかし実際に彼が有名になっているのは、プラグマティストとしてであって、ジェイムズ経験論の思想的核となっている「「根本的経験論」
(1)を提唱するエピステモロジスト・ジェイムズとしてではない。いずれの哲学史書をひもといてみても、彼がプラグマティックの項目において登場しているという事実から、ある意味では、われわれは誤解によって彼の哲学を容認しようとする危険性をもっているといえなくはない。それ故に、プラグマティズムがイギリス経験論の系譜の延長線上にあるとされる以上、そしてプラグマティズムが「実用主義」と言った如く一時期もてはやされたイズムとして理解されている限り、その当事者である彼もまた、「過去の人」と見なさざるをえなくなるというのが、私の一方での考え方でもあるわけだが、しかしながら彼のプラグマティズムが、彼の別の考え方である「根本的経験論」の発展形態でしかないのだということに特に注目するならば、彼に対するわれわれの誤解もいくらかは解けるのではないだろうか。
 最近の「ジェイムズ・ルネッサンス」といわれる哲学界の動向もそのあたりに起因しているわけだが、
(2)私もまたその動向の一つのあらわれとしてあるジェイムズとフッサールとの比較研究に参画すべく、本書の第一部において思いつくままに自説を展開してきた。しかしながら、そこにおいてジェイムズ経験論における認識論的見解を敷衍するにおいて、忘れられてはならない一人の哲学者がいたのである。それがイギリス経験論の重鎮としてそびえ立つかのD・ヒュームであった。(3)ジェイムズ経験論が伝統的経験論の軛から脱れるためには、このヒュームの考え方を徹底的にたたく必要があった。本章はそう考えたジェイムズの意図に沿って、彼がいかなる風にして、何を批判することによってヒュームを乗り越えようとしたのかについて、あきらかにしようとするものである。

Ⅱ ヒュームの「印象」現出の条件

 ジェイムズがヒュームの考えのごとき伝統的経験論を批判する根拠は、要するに、経験の連続的性格を否定し、経験を原始的感覚的存在の寄せ集めとして理解しようとする主知主義的経験論的態度をジェイムズが認めようとはしなかったところに求められるであろう。彼はこの主知主義的経験論に対して、「これまでの経験論」、「伝統的経験論」、と言ったり、あるいは「中途半端な経験論」、「お化けのような経験論」、「原子的経験論」、「原子論説」といったさまざまな特別の名称を与えたりして、数多くの論文の中で批判的に論じている。そしてジェイムズの言葉を借りれば、とりわけ「ヒュームが原子論説のヒーローであった」
(4)のである。
 周知の如く、ヒューム自身は経験をありのままにとらえようとした観察者であった。彼の冷徹なまでの観察者的態度はイギリス経験論の父とも言われるロックとは違って、いささかの合理主義的独断的傾向をも排除することとなり、そこから彼は懐疑論者と言われるようになったのであるが、実際は、むしろ自然的存在としての人間の存在形態を素直に認める一種の自然主義者であったと言った方がより適切な感じがする。
 近代哲学史から見て、ヒュームの考え方は人間の本性を学問的見地から追求しようとする近代哲学の一つの流れの上にたったものであるが、しかし同じ意図をもってはいても、ヒュームの場合は認識能力が何か超自然的な実体であるかのような錯覚を抱かせる合理主義者の考え方とは異なった学問的態度をもっていたのである。
 この特徴的な例は理性についてのヒュームの考え方であろう。理性は確かに認識作用にあずかる機能であり、まがうことなく人間本性の一つでもある。だが、それは人間本性と言われるものに特有な存在形態であったのではなく、全く自然的な機能であったのである。その意味でも、「野獣にも人間にと同様に思考と理性が授けられている」
(5)とヒュームが主張したのは、事実の観察者として徹しきるのであれば、当然の帰結であると言われねばならないだろう。彼にとれば、理性の働きがあると思われる現象が観察を通じて見いだされる、というだけで十分であったのである。さもなければこの主張から彼は懐疑論者であるというよりは独断論者であると言った方が正しかっただろう。
 この例から見ても、ヒュームの事実を事実としてありのままに見、そしてそこになんらの偏見も抱かないという態度は、認識におけるわれわれの行ないもまた、自然的存在性の域をでないという考え方の別の表現であると言えよう。いいかえればわれわれの認識主観とは、それ自身、自然から独立して存在しているのではなく、認識主観の機能そのものが自然的メカニズムの制約をうけているということである。そこにはかの合理主義者が好んでもてあそぶ論理が優先的に用いられてもいないし、非経験的特性を利用しようとする僭越性もない。ヒュームの如き経験論者にとって必要なのは、ただわれわれの感覚に直接的に与えられた事実だけであり、それ以外は、学的対象にされてはならなかったのである。
 それでは、ヒュームの如き経験論者はこのような感覚的事実をいかなる態度において認めようとするのか。われわれはしばしヒュームの哲学の具体的部分にふれてみよう。ヒュームはそれを知覚表象の形でとらえようとする。ヒュームの『人性論』の冒頭の部分において、われわれの知識の素材や内容が何であるのかについての解答が、次のように示されている。「人間の精神のあらゆる知覚は二つの異なった種類に分れる。印象と観念である。これらの間の差異はそれらが精神に与え、そしてわれわれの考えや意識を作りだす力強さと生々しさの程度にある。最も力強く、且つ生々しく入りこんでくる知覚は印象と呼ばれ、その名称のもとに、あらゆる感覚、情念、情緒があると理解されている。観念とは思考や推論における印象の弱まった心像である……。」
(6)
 ヒュームによれば、われわれの心の対象としてあるのは、結局のところ、知覚としてあるところのものであり、その根源はすべて、印象に起因している。観念と言えども印象の一種である。従ってヒュームにとれば事物をありのままに見るとは、事物についてそれを知覚表象のままとらえることであったのである。
 このヒュームの認識論的出発点は、しかしながら、わがジェイムズのヒューム批判の的とされたのであった。即ち、事物を一つの知覚表象(ヒュームの言葉に従えば印象)としてとらえることが、経験そのものの中から導かれていると、はたして言えるのだろうかというのがジェイムズの問題とするところでもあったのだ。経験論とはいわれるまでもなく知覚を問題にする哲学の一つである。その意味ではヒュームの哲学も、ジェイムズの哲学同様、同じ知覚の哲学であるという点にはかわりはないだろう。だがジェイムズに言わせれば、知覚の哲学であるということは必ずしもすべての知識の素材と内容がヒュームの意味する印象だけであるということにはならなかったのである。
 それではヒュームの印象とはいかなるものなのか。たしかにそれはわれわれの経験の最初の事実であるかのように見える。だが、ジェイムズにとれば、そうではなかったのである。ヒュームの印象はロックの単純観念、バークレーの感覚的諸性質と同様、経験においては実現化されない抽象なのであった。即ちジェイムズによれば,経験論者の中で最も直接的な形で感覚に訴えかけ、その生じるままの経験的事実から出発しようとしているヒュームにおいてすら、すでに主知主義的態度が認められるというのである。いいかえればヒュームは経験的事実を単純化作用のなかで分析し、関係を絶ったところの抽象物を前提にしていたというのである。
 ヒュームの印象が何故に抽象物であると言われうるのか。われわれは今度はジェイムズの立場からこれを考えてみよう。まず、それはわれわれが印象についての反省を加えたときにあきらかになろう。印象とはまさにわれわれの精神の中に映じられた表象的実体である。印象を全体的に見れば、ヒュームの言うように生々しく力強いものもあれば、弱々しくかすかな心像をともなっているもの(観念と呼ばれる)もあり、そしてそのために生きものの如く変化し、精神の中を流れているかのように見える。だがかかる見方こそ観照的であり、分析的であるのであり、そこでは一つの印象が生々しさから弱々しさに、あるいはその逆に、連続的に変化している様子が説明されているわけではなく、生々しい印象であれ、独立した諸印象として存在し且つ比較されている様が強調されているにすぎなかったのである。
 従って、精神の中でつくられているという考えには、その要素が精神の働きによって別々に経験されることによってうちたてられないと、分析不可能であるという前提が含みこまれているのであって、印象それ自体は決してわれわれの経験の生の事実として存在しているのではなかったのである。印象にしろ、観念にしろ、それらは精神の作用によって印象化され、観念化された二次的存在にすぎない。いいかえれば印象ないしは観念、あるいはもっと一般的に言えば、伝統的経験論の言う最初の事実とは、「スペードのジャックのような神話的な存在」
(7)であるというのが、ジェイムズの見解なのであった。
 それらはわれわれの精神の念のいった識別的注意によって周期的感覚で意識のフットライトの前にあらわれているにすぎず、従ってそれらの存在の強調は、それらの生まれでる背後にもっと広範な経験的事実というものが様々な対象と関係を包摂した多様性をともなって存在しているという点を拒否していると見なされてもいたしかたがないであろうとジェイムズは考えるのである。ここにヒュームの印象が単なる抽象物にすぎないとジェイムズによって批判される根拠が存している。従って、ヒュームの言う印象とはすでに知覚による抽象的行為を前提にしている。即ち、印象は常に一つの概念的規定をうけることによってはじめて、印象としての存在が浮きぼりにされ、われわれの意識のフットライトをあびていることになるのである。
 これは何を意味しているのであろうか。ジェイムズは印象や観念についてのヒュームの説明を「ヒュームのきまぐれ的な主張(Hume's fantastical assertion)」
(8)と考える。なぜならばヒュームはそこでは以下の独断、即ち「われわれは質、量について、その各々の正確な程度を表さないで事物の観念を形づくることはできない」(9)という考えをもっていたからである。ヒュームにあっては印象はその生々しさの、及び弱々しさの違いはあったとしてもあいまい(vague)であってはならなかった。印象の弱々しさ(faintness)は決して印象のあいまいさ(vagueness)ではない。印象としてあるからにはそれは必ずある明確さをもっていなければならなかった。明確であることを要求されたものであった。いいかえれば印象とはわれわれの精神によって質的にか、あるいは量的にか、厳密に規定されたものでなければならず、そのために、精神自らの作用によって正確に規定されて生まれてこなければならなかったのである。
 さて、ここで経験論者からでる次のような反論について考えてみよう。即ち、かかる印象は概念主義者の抱く概念の如く完全に知性の産物とは言われえないのではないか。また印象はもともとわれわれの感覚と密接に結びついて生まれたものであるが故に、かかる作用を経て生まれでる印象それ自体が感覚的表象のありのままの姿の表現であると言われるんではないか、という反論である。
 この反論には、以下の点、即ち精神の作用が自然に従って「無邪気な想定(innocent supposition)」
(10)をしているのであるから、知性によるアプリオリな働きがあるとは言われない、と断定する狡猾さが歴然とあらわれている。われわれの精神の働きが無邪気(innocent)であると言っても、想定はあくまでも想定をするなにかを必要とするのである。そこに事実に即しないなにか、いいかえれば、経験をはなれたアプリオリズムが介在してこざるをえない所以が存するのである。
 このようにしてわれわれに提示されるところのヒュームの印象は、彼自身が主張するところの観察への訴えによってではなく、アプリオリな推論によって存在基盤を保証されているということになるのである。従って印象はあいまいでないのは当然であり(なぜならばアプリオリに印象はあいまいでないものと規定されるから)、のみならず、諸印象はお互いに結合の様態をもたぬ、独立したばらばらの関係にしかないと主張されても仕方がないのである(なぜならばヒュームは現実に存在する印象のあいまいさをはじめから無視し、独立した諸印象しかとりあげていないからである)。
 ヒュームのこの考え方は、一体、どこに起因するのであろうか。それは観念(ヒュームに即すれば印象)の具体性をあまりにも求めるヒュームの学的心情に起因しているように思われる。それではその心情はどこに起因するのか。ここでヒュームの真意が露呈されてくるのではあるまいか。ヒュームは精神がなんらかの働きをするという点を彼の学問的野心から認めざるをえなかった。従って、かかる精神の働きを可能ならしめるための条件がアプリオリに必要とされねばならなかったのである。同時にヒュームは自らは経験論者であろうとした。そのためにかかる条件もまた経験的事項を構成するものでなければならず、彼は可感的である質及び量にその根拠を見いだそうとしたのである。
 そこで既述の如く、ヒュームの基礎的な考え方であり、同時にまた罠となる次の命題がうちたてられたというわけである。「精神は質ないし量について、その各々の程度の正確な考えを形成するのでなければ、いかなる考えも形成することはできない。」
(11)
 そしてこの命題の論証が皮肉にもヒュームのアプリオリズムを決定的にしているとジェイムズは考える。ヒュームはまず対象が異なっているものは区別しうるものであり、対象が区別しうるものは分離しうるものであると考え、またその逆に対象が分離しうるものは区別しうるものであり、対象が区別しうるものは異なっているものである、
(12)と考えた。ヒュームにおいて対象とは知覚としてあるのだから、ここにおいてすでに印象が一つの、分離され、区別しうる原子的実体(可感的なそれであるにしても)として想定されている。さもなければ精神の働きの余地、いいかえればヒュームの哲学的思考の根拠が喪失してしまうのである。
 従って、ヒュームはかかる印象がわれわれの印象として存在するためには、印象が質、量の程度において決定されることがなければならないと考えた。それがヒュームの第二の論証である。なぜならば、さもなければ対象は感官にあらわれえず、印象がわれわれの精神に現出しえないからである。その意味ではヒュームは精神にある認識能力を決して無視していない。印象についての混乱した考えがあった場合、ヒュームはそれを印象の弱々しさと不確かさのせいにして、印象をうけいれる精神のなかの能力のせいにはしていない。また、逆に印象が現出しているという事実を印象のもつ力強さからは導出しない。それ故印象の弱々しさおよび力強さとは関係なく、印象は精神が必要とする質、量の一定の程度の明確さをアプリオリに前提し、その条件にかなってはじめて、印象という名をもって精神に現出すると考えたのである。

Ⅲ 抽象論としてのヒュームの「印象」説

 このような批判に基づいてジェイムズは、ヒュームの意見に対して「ほんのわずかの内省的一撃を与えさえすればすべての人にこの意見の誤りが示されるであろう」
(13)と言う。「ヒュームは彼の精神の目の前に浮かんでいるページの上のあらゆる言葉や文字を明白に見るということもしないで自分自身の仕事のイメージをたしかにもっていた。彼の言明はそれ故に人間がアプリオリな理論によって最も歴然とした事実に対して盲目にされている方法の恰好の例である。それにヒューム直流の経験論学派の心理学者達が概して彼らの反対者(合理論者)よりもこの盲目に対して責をおっていたということはむしろ注目すべき事柄でもある。意識の基礎的な諸事実は全体的に唯心論的著述家によってより的確に報告されてきているのである。ヒューム学派の誰も……彼らの主人の意見に反対する苦しみをしてこなかったのである。」(14)
 ジェイムズのヒュームに対する批判はヒュームが経験的事実に徹する態度をつらぬき通さなければならないのに、中途半端にして、その妥協的産物として経験的事実の抽象化を行ったところにあった。原子的実体としてしか存在しようのないヒュームの印象についての考えは、そのために精神のアプリオリな活動を認めることになるばかりか、印象として精神に現出しない経験的事実の大半を被いかくし、そのために方法的には間違っていたが、合理論者でさえ全体のなかにくみいれて認めようとしたその被いかくされた事実に対する考察的態度を経験論者からうばいとってしまったのである。
 それ故、完全に明白な事物についての印象以外の心像をもてないとするヒュームの考えは馬鹿げている、とジェイムズは結論する。たとえ、その考えを認めるとしても、そう言った心像はわれわれの精神の中でごく最小の部分を形成するにすぎない、ということを忘れてはならない。ヒュームは印象の考えを固定することによって、結果的には知性による抽象化作用を行っていたのであり、その印象については、関係を異なった、不易の抽象物として処理していたのである。
 ヒュームの印象主義的原子論が経験をはなれた抽象論であると言えるのは、経験の連続性を理解せずに、主知主義者がやるように、知覚の世界を概念の世界におきかえる作業とほとんどかわらぬそれを行っていたからでもある。合理論者は概念的世界を実在の世界とするように、ヒュームは諸印象の寄木細工をもって実在の世界を構成しようとした。この二つの世界は連続的な知覚の世界の翻訳であるという点にかわりはない。ただやっかいなのは概念の世界は一度概念的規定をうけるや永遠に固定され、流動不可能な状況をつくりだすのに対し、諸印象の生活では各々異なった印象が生成、滅亡をくりかえしているように見える点である。
 たとえばはじめは『A1+A2+A3……+An』の諸印象の寄木細工による世界が構成されるが、次には『A2+A3……+An+An+1』、さらにその次には『A3+A4……+An+An+1+An+2』の諸印象のそれでもって別の世界が構成されてくる。だがこの事実は決して経験の連続性を意味しているのではない。それぞれの項と項は明確に区別され、分離された関係にあるのであり、またそれぞれの印象群もまた別個な独立性をもったものとしてうけとられているのである。ここにこれらの世界が単なる寄木細工の世界にすぎないと言われる所以があったのである。
 それでは寄木細工の世界であるにもかかわらず、それが世界であると言われうるのはなぜか、印象の寄せ集めをあえて世界と言いうるためには、いいかえれば分離的関係にあるよりも結合的な関係にある方がふさわしいと考えうるためには、われわれは経験からはなれ、検証可能な経験をすて、記述不可能な統一体を暗黙裏に要求しなければならなくなるからである。とはいえヒュームの主張はこの点に関し微妙である。ヒュームは結合の関係を諸印象の並列的事実の叙述でもって説明しおえたと考え、記述不可能な統一体はそれに対応する具体的表象が見あたらないとして、思考放棄をしてしまうのである。
 ヒュームの哲学を知覚の哲学であるとする限り、ある意味ではヒュームのこの態度は正しいのかもしれない。なぜならば経験とは所詮われわれの経験であり、その「われわれ」は、この世において当然有限的な存在であるからである。
 だが問題はヒュームの印象説の構成態度にあったのではないだろうか。ヒュームの印象説は文字通り感覚主義者が提唱したものとして一応は受けとられる。にもかかわらずヒュームは彼の論理の前提として区別せられるものを素材にした。この論理の帰結は、当然、区別せられうるものは結合不可能である、という、命題をともなってくるのである。これは完全にわれわれの実在的世界とは矛盾している。いかなる種類の実在的活動や実在的結合も感覚的世界によっては当たり前の存在様式であるにもかかわらず、ヒュームの論理的前提はむしろその逆の方向、即ち、可感的実在が知性の働きのもとに完全に解体されるまで、われわれの精神は働きつづけなければならないことを指示してしまったのである。いいかえれば、ヒュームの印象主義的原子論は論理として純粋に知的な結合的カテゴリーないしは超自然主義的原理なくしては存立しえないものになってしまっているのである。
 ヒュームは経験論者としての自負からそれをあくまでも経験的事実の中において解決しようとしたものだから、結合を精神の習慣的働きの所為(あるいは諸事項の隣接による観念連合を行なう精神の習性の所為)にせざるをえなかった。しかし、ヒュームは次の点を忘れていた。即ち、ヒュームが印象主義的原子論の最終的根拠を精神の習慣的働きに求めようとする時、もしその精神の意味しているものが単なる知覚の束にすぎず、従って精神の実体が究極的に不安定な(unsteady)有限性をもっているものであるとするならば、精神の中にあって諸観念(ないしは諸印象)を結合し、それらを現実的に秩序づけることのできる過程ないしはメカニズムが、逆にそれらの結合、秩序づけを妨げる機能をもっているということを、いいかえればヒュームの印象主義的原子論を根底から否定するものもまた精神の習慣的働きであるということを忘れていたのである。あるいはヒュームはその事実を知っていて、ことさら後者を捨象することによって前者のみを強調するという知的飛躍を行ったのかもしれない。そのために、ヒュームは知覚の認識問題についての思考放棄を行ない、その論理的矛盾を日常的実践的生活の中に被い隠し無意味化するという哲学者らしからぬ態度と、哲学者であろうとしながらも感覚主義者であるために現実的におちいってしまった、『人性論、悟性論』の結論に見られるような、哲学者的憂欝との間の彷徨に苦しまねばならなくなったのである。
(15)

Ⅳ ヒュームの概念主義者的思考態度

 これに対しジェイムズは、ヒュームの印象主義的原子論の根拠となる考え方に誤りを見いだそうとするのである。同時にヒュームの諸印象の寄木細工的世界像から自分の知覚の連続的世界像へとみる観点を変えることが、ヒュームのジレンマを解消する最善の方法だと考えていた。
 ジェイムズによれば『A1+A2+A3……+An』とは、実は 『A1+difference + A2+difference + A3 + difference ……+An』のことである。この考えでは仮にA1等の事項が感覚的なそれであったとしてもdifferenceの観念もまた同じ感覚的な事項であるというわけにはいかない。なぜならばヒュームにとればdifferenceの観念は抽象的なそれであり、それに対応する一つの分離せる事物を感官に見いだしえないからである。従って、あるのはただA1やA nが独り城を守っている姿だけであり、そのために、A1やA nの項目は、たとえ異なれる対象によって触発される感覚であったとしても、われわれの前に同時にあらわれるという想定をしなければ、ヒュームの世界像はつくられなくなるのである。そうなってくると感覚のもつ、直接的継起の本質がそこなわれてしまう危険性が多分に出てくることになりはしないだろうか。
 ところが実際において、もし感覚の直接的継起を認めようとするならば、論理的観点からもdifferenceは感覚的構成物でなければならなくなってくるのである。ジェイムズはこの一見当たり前の考えを素直に肯定する。異なれる対象についての諸印象は、それが知覚の域にとどまっているかぎりは、絶対的にわれわれの前に同時的にあらわれえない。この考えはわれわれが事物を識別する際の常識であり、従って識別の作用は直接の継起のもとにおこるというように考えられねばならなくなる。
 にもかかわらずヒュームはあまりにも印象における明確な存在規定を要求したために、結果的には、あるいは論理的帰結としては、直接の継起をではなく、同時的にあらわれた諸印象の精神による比較、識別作用を認めるかのようにわれわれが考えるようにしむけた。もしヒュームがA nと An+1との差異の感じを見いだしていたとしたら、いいかえればA n+difference+An+1の図式において、differenceを精神の抽象的作用のなかに見いださず、なんらかの可感的対象のなかに見いだしていたならば、ジェイムズによって批判されなかったのである。
 その意味でヒュームとジェイムズの違いは継起のとらえ方の違いであるとも言えるだろう。即ち、継起とは『A1・difference・A2・difference・A3・difference……・An』ではなく、『A1・A2-difference-A1・A3-difference-A2-difference-A1・……・An-difference-An-1-difference-An-2-difference-……-A1』である。前者がヒューム的継起であり、後者があえて言うならば、ジェイムズ的継起である。
(16)
 この違いはどこから生じるのであろうか。言うまでもなくそれは経験的事実を断続的部分の集合としてとらえるか、連続的流れとしてとらえるかの違いからである。そして前者の立場の考え方の背後には、その断続的部分の間にあるものでさえもさらに独断的にとらえようとする主知主義的態度が隠されていたのである。この主知主義的態度は概念主義者が最も得意とするところである。従って前者の継起観は、ジェイムズによれば、概念主義者が往々にして分離された名辞がある場合には必ず分離されたものとしての事実があると仮定するところからきているのである。
(17)
 ヒュームの考えもどちらかと言えばこの概念主義者の考えと類似しているとジェイムズは考えていたのである。ここで有名なヒュームの因果律の否定について付言すれば、実はこの考え方こそ経験論者が概念主義的にものごとをとりあつかったことから帰結する典型的な例なのである。ヒュームは原因が及ぼすと考えられる「力の効力」
(18)について彼なりに考えていた。ところが彼はそれについての必然的結合の観念の形成が不可能である故をもって因果律を否定したのである。(19)いいかえれば、ヒュームは「『力』という言葉に対応するような事実を見いださないので、その言葉は無意味である」(20)と結論したので、力の効力に関しその積極的な心像を求めたものの、失敗してしまったのである。
 これをヒュームに即すれば次のようになろう。ヒュームは因果性の事実について原因のもつ力の効力なる名辞をある時点で抱いた。そこでヒュームの概念主義者的思考態度は、それに対応する経験的事実が見いだされねばならないと考えた。経験的事実とはヒュームによれば勿論、ある知覚をもつことにある。いいかえれば力の効力についての印象をもちうると言うことである。
 ところがこの印象はヒュームの精神において質および量のはっきりした心像とはなりえなかった。従って力の効力なる印象は精神に見いだされないが故に、力の効力なる事実はないと判断した。それ故ヒュームは因果性の事実を「二現象の生の並列に翻訳した」
(21)にすぎなかったのである。
 既述されてあるように、ジェイムズはヒュームのこの推理パターンそのものが概念主義者ないしは主知主義者からの剽窃であることを見いだしたのである。まず第一に、どうしてヒュームは因果の力の効力を突如、名辞的に、あるいは実体的ななにものかとして考えるにいたったのか。もしヒュームが経験的事実を事実として見る態度に徹底するならば、因果の力の効力なる言葉はでてこなかった筈であるから、ジェイムズの言うように因果関係を単に「ある意識の場が他の意識の場を招きいれる様式であり……経験が連続的流れとしてあらわれる形式の一つにすぎない」
(22)と考え、従ってそれに関する名辞についても、「その流れの中にわれわれがいかにうまく識別しうるかをしめしている」(23)にすぎないと考えたであろう。それができなかったのは、原因であると想定される現象と結果であると想定される現象の各々が、あまりにも別個に明確な心像をともなっているとヒュームによって考えられていたからであり、それ故ヒュームは彼流の観念連合の法則ないしは習慣という形でしか両者を結びつけざるをえなくなり、それでいて、その考え方に対して、心の奥底ではある不安を感じていたのではあるまいか。
 この時、ヒュームが印象主義的原子論を経験論からしめだしたならば、言いかえるならば、完全なる概念主義者になっていたならば、因果の力の効力なる考えにまどわされなかったであろう。その点精神のニュートンたらんとしたヒュームは科学者的でもあった。彼は因果関係を精神の中にある法則においてとらえようとしたのである。実際二つの現象は現実にはなんらかの方法において影響しあっているものである。なぜならばわれわれは二つの現象が異なれる対象であるかのようにとりあつかっているが、それはわれわれの観念的対象であるが故に可能なのであって、現象それ自体は決して分離されうるものではないからである。影響しあっているというのはそう言った出来ごとの言語的表現にすぎないのである。
 ところがヒュームはかかる意味での影響というすべての考えを排除しようとし、かわりに法則という全く異なった思惟手段を採用しようとしたのである。そしてそのあいまいさにも気づき、例の哲学者的憂鬱にならざるをえなかったのである。かかる結果にいたらしめたものはなにか。それはヒュームの心の中にある哲学者的に分析し、存在の根拠づけを行いたいという知的野心であり、それに基づく条件、いいかえれば経験の静止的部分に注目しなければならないという制約であったのである。

Ⅴ ヒュームのジレンマ

 とはいえ、ジェイムズによる以上の如きヒューム批判は、ジェイムズとヒュームの著しき異質性を浮きぼりにしているのではなく、客観的には、彼らの考えの類似性をしめしているように思われる。認識の問題に関しては、ジェイムズ自身も言っているように、われわれはヒュームからカントへと通りぬける必要はないのであって、ヒュームからカントを迂回して直接に線をひけばよいのである。
(24)いいかえれば、われわれはわれわれの感官に直接的にあらわれる感じをそのまま信じたらよいのであって、むしろ感覚的世界を蜂がぶんぶんとび交う百花繚乱の混乱状態とよび、統覚を知的観点から必要とするかのように考える方が、感覚的世界に対する一方的な見方であると言えるのではあるまいか。なぜならば知的観点のもとでは感覚的生が関係的要素をも含みうる十全性をもっているものであるということは少しも考えられていないからである。
 いわゆるカントのいう悟性なき感性の盲目性は感性の働きを部分的にしか見なかった結果、生まれた言葉である。ジェイムズとヒュームは直接的に感官にあらわれる感じを信じていたという点で基本的には一致していた。ただヒュームは意識ないしは考えにおける、明確さを伴った実質的部分(substantial parts)に注目したのに対し、ジェイムズはあいまいな推移的部分(transitive parts)に注目したという違いがあるだけである。それ故ヒュームは「観念による知覚知が多分含みあるいは意味しえるすべてのことは、先験的な意味においてうけいれられないところの連続的、確証的な、しかし記述的な、明白に感じられた推移にある」
(25)点に気づかなかったまでである。
 ヒュームは、他のほとんどの哲学者同様、知覚がわれわれに直接的に関係を与えることができるとは考えていなかったけれども、関係がいつも思惟の仕事であり、そこで原因はカテゴリーでなければならないという結論まで下さなかった点において、ジェイムズ同様、感官にあらわれる感じを信じていた、とわれわれが判断しても、間違いであるとは言えないであろう。
 さらに、ジェイムズとヒュームの類似性は、対象と知覚の二元論が知覚的経験の第一義性を根拠にすることによって解消せられている点にも見られるかもしれない。とはいえ厳密にはそうなのか。その意味で、われわれはこの点についてもう少し、吟味してみる必要があるだろう。
 ヒュームにおいて知覚としてあるところのものは、即対象としてあるところのものである。ある知覚、ある対象とはその対象としての存在を抜きにしては考えられないのであり、それ故に事物の存在とはその事物の知覚、印象である。それでは対象と知覚、ヒューム流に言いなおせば事物の存在とそれの印象が、なぜに名辞的に区別せられて用いられていたのかと言えば、ヒュームがそれらの二重存在説を認めるものや、外的存在を信じて疑わないものへの論述的配慮ないしは彼自身の主張の効果性を狙う打算的意図を便宜的にもっていたからであって、本心から彼が知覚とは別個の事物の存在、極端にいいかえれば外的存在を信じていたからではないだろう。
 知覚的経験がわれわれの思索のすべての根拠であるという点においては、ヒュームはイギリス経験論の伝統的思考パターンに従っているのであるが、このヒュームの考えを他の同系統の哲学者と比較すれば、外的存在の恒常的独自的な存在性を否定するという観点からは、それは実体の概念をひそかに信じたロックの考えよりも、バークレーの考えにより近いと言えるだろう。なぜならば、バークレーにとって物質とは存在としてある外的実在ではなく、ジェイムズの言うように、それがなにからなりたっているかを思弁するためにとりあげられている対象でしかなく、従ってそれは感覚の上にあらわれるものに対する名辞にすぎなかったのであるから、
(26)たとえそこに精神の働きが介入しているとは言え、外的存在を論理的要請としてさえも認めるにはいたらないからである。そこに、素朴に考えれば、バークレーとヒュームは共に模写説ないしは暗に外的存在の力とその影響の存在を認めるかのような精神の白紙説を自説の背後にそれほどには必要としていないという意味では親近性を有していると言われてもよいだろう。
 しかし、ヒュームが知覚即対象を内容とする知覚の哲学を確定しながらも、なおかつわれわれの知覚的経験とは異質の外的世界をわれわれが考察し、且つそれがそれ自身で存在するという考えに至らしめる根拠を索ろうとした点に問題点を残した、と言えるのではあるまいか。ヒュームのこの態度は大極的には誤っていないと私には思われる。なぜならば、この考察によって、ヒュームは最後的には彼の哲学の根本である、知覚的経験の唯一性、いいかえればわれわれの知覚認識においては外的存在と考えられるものの想定がわれわれには不分明であるという理由で排斥されなければならない点を論証しようとしていることになるからである。
 問題なのはヒュームが外的存在を否認する過程と方法にあったと考えられる。そのためにヒュームが論述的配慮と打算的意図のために用いた知覚と対象の名辞的区分は、彼の主張の根拠づけに役立つよりも、むしろ逆の結果を生み、対象という名辞の頻繁な使用から、かえって外的存在を無視できないものにしてしまい、プラグマティックに考えれば(ジェイムズがバークレーの学説について「バークレーはわれわれが知っている外的世界を否定するどころか、それを確かにした」と言ったように)
(27)外的存在を認めても矛盾しない、両刃の剣の如き思考パターンをわれわれに提供したのである。
 それではヒュームの問題点であるとされる過程と方法とは具体的には何なのか。ヒュームをして外的存在を認めさせるに至るかの如き過程は精神に生じる次の二つの認識にその根拠をもっていた。第一は、知覚は中断することは認められても、知覚された事物は精神から分離されていても矛盾しないという考え、それのみか、精神構造それ自体がその考えを甘受しているという認識である。その第二は、知覚は消滅するばかりであるが、にもかかわらず、その消滅した知覚になんら依存しないでも新しい対象が精神に入ってきた場合、精神はそれを知覚としてうけとるという認識である。
 第一の点は精神を知覚の束あるいは単なる劇場であるとする考え、及びそれ故に精神の同一性を否定する考え方から導出されよう。
(28)精神が知覚の束あるいは単なる劇場であり、しかもヒュームにおいてはあらゆる知覚は区別しうるものであり、分離しうるものであるのだから、ある特殊な知覚がたまたま精神の中にないというのは形容矛盾である。だがその特殊な知覚について、その名前の詮索はともかくとして、精神ではないところのなにものか、あるいはもっと換言すれば内的な精神とは対照的にある外的ななにものか、とするならば、この矛盾は解消するであろう。そしてそのなにものかに対象という名辞を与えればより円滑的にわれわれの精神にうけいれられることになる。
 この考えの根拠は言うまでもなくヒュームの印象主義的原子論にあったのである。なぜならばこの時点においてヒュームが、もし分離された知覚の独自的存在の考えをはじめから認めていなかったならば、即ちロックの認めたような実体の観念の影響をいささかも受けていなかったならば、このような形容矛盾の解消に苦慮しなかったかもしれないからである。いいかえれば、われわれの精神から離れて存在するものを想定するに及ばなかったかもしれないのである。
 第二の点は、ロックをはじめとする経験論者一般に見られる精神の白紙説の影響をヒューム自身も多少は受けいれていたことを物語っている。たとえば、精神の知覚の束説は同時に知覚が精神にあらわれるまでは精神が死せる容器にすぎないことを示唆している。精神は知覚の注入によっていわゆる活を得るのであって、その意味では精神は注入されるべき存在を認めなければならないのである。
 それでは精神の白紙説を支えるところの、そして精神にはいりこむところの知覚とはいかなる特性をもたねばならないのか。周知の如く知覚とは消滅すべきものである。にもかかわらず精神として存在する知覚の束を認めるためには知覚に非消極的、無中断的特性を与えなければならない。言わば恒常的知覚の認容である。この態度は精神を思惟的実体、いいかえればわれわれの内的持続的存在と考える限りにおいて認められねばならないところの知覚の束説の必然の帰結である。この帰結が精神の白紙説と結びつけて考えられた時に、精神において認められたと同じ考え方のパラレルな関係において、精神に知覚として注入する対象の恒常性が保証されねばならなくなってくるのである。恒常的な、いいかえれば同一性を保持するところの、そして精神によっては対象として考えられるところの観念とは、いうまでもなく外的存在の観念である。
 もっとも、この推論はあくまでもわれわれが外的存在の恒常性、同一性をなぜに信じるにいたったのかという説明をしているにすぎないのであって、決してそれらを認めているのではない、とヒュームはその後でくりかえして弁明している。なぜならばわれわれにとって知覚(具体的にいえば印象)とは、経験を形づくるすべてであり、しかもそれは存在する限りは、はっきりと存在し、且つ消滅すべき性質をもっているために、対象なり、事物なりが継続して存在するということをそれ自身の中において認めえないとヒュームは彼の理論的前提をくずさないからである。
 その結果ヒュームにとれば、知覚はまさに知覚としてあるのであり、その知覚と他の存在との関係づけは精神の傾向性に基づく働きにまかせてしまっているのである。とはいえそれだけでは外的素材の同一性を考えるわれわれの傾向性が究極的に解明されたわけではない。そこでヒュームは論理的には独立した諸知覚の類似性に着目し、それを同一性の如く考えねば現実生活において破綻が生じるという観点を便宜的に採用し、そして精神におけるその矛盾的性格から、恒常的知覚、恒常的対象、そして常に同一性を保つと考えられる外的存在の認容へとスムーズに移行する精神の傾向性を認めようとするのである。従ってそれによれば、外的存在の認容はわれわれが日常生活をおくる上に必要なために設けられた精神作用の中の想像機能による想定的考えfictionに基づいている、というわけである。
 ヒュームがわれわれの知覚しない間でも存在していると考えられる外的存在について考慮することは根拠がないとして説明する方法は、逆に外的存在を不動のものにしている一つの例とは言われないであろうか。あたかもそれはバークレーの物質の観念が彼の感覚的諸性質の観念によってより確かめられたのと同じにである。そしてヒュームの見解について堂々とかかる断定をしえるのは、実にジェイムズの如きプラグマティストであったのである。なぜならばヒュームは確かに唯物論の模写説を採用しないけれども、現実には唯物論者と同じく外的存在を認めているのであり、従ってヒュームは外的存在を認めないかのようにして生じる生活態度をとることはできないからである。
だがヒュームを批判するわれわれが、プラグマティストでなかったとしても、そのわれわれにはヒュームの論理的不整合は明瞭である。それ故に知覚即対象というあれほど固い信念をもちながら、精神についてのあいまいな規定で外的存在についての考慮へと背のびをしたおかげで、ヒュームはやけぼっくいに火をつけたかのようなしっぺ返しをくらう破目におちいったのである。
 ヒュームの懐疑主義が知覚以外の対象の存在についての想念にむけられているのは、たしかに一つの事実なのであるが、同時にそれが精神と外的存在という二元論を解消しようという積極的意図をもっていなかったために、いいかえればそう言った哲学的野心はどうでもよかったために、われわれにとって外的存在とはいかなるものであるかをわざわざ伝える結果に終わってしまったのである。われわれが知覚的経験を経験のすべてであると信じるのは、哲学的な一つの所説としては正しいかもしれない。だがその信じる方法が間違っていれば、知覚的経験論者にも外的存在が無視されないでいるといわれてもいたしかたないであろう。
 二元論は存在論的経験論者にはある程度、哲学的所説としては許されるかもしれない。とはいえ、知覚的経験論者が二元論を認める場合は、逆に彼が経験をはなれたなにものかの力に依存していることになるのに気づかねばならない。ヒュームの印象主義的原子論は知覚的経験論に属しているのであるが、そしてそのために彼は、今日よく言われるところの言葉を使えば、完全なる観念論者でも、また完全なる唯物論者でもなく、表象説をとることにより、その中間に位置しているのであるが、知覚をあまりにもはっきりした心像にのみ限定して分離されて存在する知覚群に目をむけると、逆に精神から分離されている外的存在の観念も導出されてくるというジレンマに悩むことになりかねないのである。
 従ってヒュームの哲学は、まさしく、主観と客観の二元論の隙間を表象説により埋めようとしたのであるが、その図式は言わば、主観+断続+表象+断続+客観となってしまっていた。これは断続された主観と客観の間に断続されてある中間物を挿入していることを伝えているにすぎず、しかもその中間物もまた一つの実体の如く考えられており、文字通り主観と客観の二元論を解消しようとする中立的(neutral)なものではなかったのである。即ち、ヒュームの哲学にもまた超経験的な実体の観念が入りこんでいると言われうるのである。
 特にこの言明は経験を内在的にとらえようとする立場、ないしは根本的経験論者の立場からは確かであると言われうるだろう。彼らにとれば、むしろヒュームは他の経験論者よりもより身近かな存在である。ただヒュームが知覚ないしは印象に小細工的な規定をほどこしたが故に、他の経験論者と同様に、ジェイムズによって批判される破目におちいってしまったのである。

Ⅵ ジェイムズの立場

 これに対しジェイムズは、ヒュームとは違って、われわれの経験的世界において一つの明確な答え、ないしはヒュームの言う一つの印象をうちたてることはできない、と考える。われわれはたしかになにかについて知覚している。だが、それは決して一定の精神の要求をもって知覚されたものを意味しているのではない。われわれの経験的事実としては、われわれの直接の経験のみが、多くの刺激がある場合に、われわれが知覚するであろうものについてわれわれに伝えることができるのである。従って、主知主義者からはジェイムズのこのような知覚についての考えは、そのとらえる姿勢においても、またそのとらえられた心像においてもあいまいであると言われるかもしれない。しかしながらあいまいであることが否定されるのは、一定の明確さが概念として前もってきめられているからなのである。
 主知主義者が明確さを主張するのは、経験論者の場合は精神に映じられた知覚を勝手にきりきざみ、その断片に自らの主観的権威でもって色づけするようなものであり、合理論者の場合は自らの基準のおめがねにかなわぬ存在物を一方的にきりすてる手段を勝手につくっているようなものである。ジェイムズにとって知覚やそれの考えについてあいまいであると言うことは、経験的事実を事実としてうけとるためには前もって知覚を規制できないという意味であてはまっていたのである。
(29)
 ジェイムズにあっては、いかなる場合であっても、精神のアプリオリな作用を認めてはならないということが、連続的知覚的世界、即ち現実そのものの世界を認めるジェイムズ流の特殊な表現なのである。そしてそれこそが経験論者の本当の態度でなければならなかったのである。
 ジェイムズが経験論者としては味方であるヒュームをあえて批判したのは、結局、次の二点にもとめられるであろう。
 第一の点は、ジェイムズ自身の思想的信念の確かさのためである。既述されたように、ジェイムズは知覚なり、感覚なりが決してスペードのジャックのように架空の抽象的実体となりえない、と考えていた。従って、それらがより高い心的機能と共存するが如き不易の心的実体であるという見解に対しては戦いの姿勢を放棄することはできなかったのである。
 第二の点は、ジェイムズの経験論的人生論の信念からである。ヒュームは彼の学問体系を位置づけるためにあえて経験を静止的にとらえた。いかにそれが哲学的立場とは言え、経験論者を自負する限りにおいては流続的な経験的事実をねじまげるということは、ジェイムズにはできなかったのである。いいかえれば経験論者はいかなる理由があろうとも事実以外のものに依拠して判断したり行為したりしてはならなかったのである。確かにヒュームは経験的事実を印象に還元して把握しようとした。だが、彼は己れだけに通用する印象観、いいかえれば知覚観を前提にしてとらえようとしたが故に、結局は事実を単に外側から見る目でもってしかとらえられなかったのである。
 それではヒュームに欠けていたものは何であったのか。それは徹底した記述的態度で事実に望む姿勢であったのである。彼には、フッサールもまた言うように、「厳密に記述的な思考の分析」
(30)が全く欠けていた。それが故に、フッサールによって彼の殆どの著作に登場させられながらも、これらの点に注意を払わなかった返礼として、「擬制主義的(fiktionalistische)認識論」(31)者として哲学と科学の破産の張本人にさせられてしまったのである。おそらくヒュームが徹底した記述的態度で望んでいたならば、事実に即することができ、そのなかで意識が志向性をもっていることが明瞭になり、フッサールによってこれほどまでに断罪されなかったであろう。
 ジェイムズもヒュームに対しては同様の態度を求めていたのである。ヒュームの「印象」説はまさに精神の主観的機能によって捏造されていた。ヒュームの過った印象観は経験的事実を一定の思惑で見ようとした「擬制主義」の産物であった。どうしてヒュームは経験的事実をありのままに記述しようとしなかったのか。さすれば実在するものが絶えず流動的であり、ヒュームの言う印象即ち知覚が辺縁を伴って現出しているという事実を見逃してはいなかったであろう。これがヒュームに対するジェイムズの評価の根底にある思いなのであった。ジェイムズは完全に事実に即しえたからこそ、同じ哲学派の巨峰に対してまでも批判しえたと言えるだろう。


(1)拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』(法律文化社、一九七三年)、第二章を参照。尚、本論文においては、ジェイムズの考えを示す「根本的経験論」そのものの論述はすでに発表されてあるので省かせていただく。ただ参考までに、この考え方のエッセンスをジェイムズ自身の言葉を借りて言わせてもらえば、次の如くになろう。
 ジェイムズにとってそれは三つの考え方からなりたっている。一つは公準a postulate、二つは事実の叙述a statement of fact、三つは一般的結論a generalized conclusionである。
「公準とは哲学者達の間で論議されるべき唯一の事柄は経験から得られる言葉で定義しうるものでなければならない、ということである。
 事実の叙述とは事物間の関係は結合的なそれであれ、分離的なそれであれ、事物それ自身と同等に直接的特殊的経験に属する事柄である、ということである。
 一般的結論とはそれ故に経験の諸部分はそれ自身経験の諸部分である諸関係によって次から次へと結びついている、ということである。要するに直接に知覚される宇宙はなんらの外的超経験的連続物を必要としないでも、それ自身連結、連続せる構造をもっているのである。」
(2)この点については、最近邦訳された“Essays in Radical Empiricism”(邦題『根本的経験論』、桝田啓三郎、加藤茂訳、白水社)の訳者解説の中で詳しく紹介されているので参照せよ。
(3)ついでに言えば、フッサール現象学を理解する上においても、このヒュームの存在はきわめて大きいと言われねばならない。してみると、ジェイムズ、フッサール、ヒュームにとって共通する問題は、「知覚」に関わるそれであると言えようか。
(4)P.P.,II, p.45
(5)D.Hume; A Treatise of Human Nature, Everymans Library(abbr.A.Treatise.),Vol.I,p.173
(6)A Treatise.,Vol.I,p.11
(7)P.P.I, p.236
(8)W.James;On Some Omissions of Introspective Philosophy,Mind,1884.,p.4
(9)ibid.
ただしこのヒュームの命題はジェイムズによって書きなおされている。私がこの命題を「独断」と言いなおしているのはジェイムズの立場にたっているからである。尚、ヒュームの原文の邦訳は本書八七頁を参照。
(10)P.P.,I, p.224
(11)A Treatise.,Vol.I,p.26
(12)ibid.
(13)P.P.,II, p.46
(14)ibid.
(15)そこにおいてヒュームは象徴的に次のように自分の心情を吐露している。「私には思われるのだが、私は数多くの浅瀬に乗りあげ、やっとの思いで小さな入り江に渡って難破をのがれたので、いまだにその同じ水漏れし雨ざらしの船で航海にでるのにためらいながらも、一層にできるかぎりこの不利な状況のもとで地球を渡ろうと考える野心をはたしている人のようである。過去の誤り、困惑の記憶は未来に対して私を内気にする。ひどい状態で、弱く、病にかかった諸能力を自分の探求において使い、自分の理解を増さねばならない。そしてこれらの能力を改めたり正したりすることの不可能なことが、私をほとんど絶望におちいらせ、無限へと走りこむ果てしなきその大洋へと私の危険をさらすよりもむしろ、現在いる不毛の岩の上で滅ぼうと私に決心させているのである。私の危険なこの突然の考えが私を憂鬱でうちのめすのである。(A Treatise.,Vol.I, p.249)」
(16)「あえて言うならば」とは、元々ジェイムズ的継起を説明することができないからである。所詮、中グロによって上下に分けられたものは、ジェイムズの場合も異質の対象と受けとられかねないし、differenceも差異の感じとして理解するには完全にジェイムズの立場にたたねば不可能である。さらに、ジェイムズは「継起」については独特の考え方を次のようにもっている。「心自身の変化が継起的であることと変化自身の継起を知ることとの間には、世にあるあらゆる場合の認識における主観と客観との間の隔たりと同じ広さの隔たりがある。感じの継起はそれ自身においてもまたそれ自身からも継起の感じではない、継起的な感じにそれら自身の継起の感じが加えられるが故に、それはそれ自身の特殊な説明を要求する付加的事実として見なされなければならない。」(P.P.I, pp.628-629)従って、私が代弁したジェイムズ的継起とても継起の感じの説明でしかないとジェイムズは言うかもしれない。
(17)それ故に、「経験論者達はいつも、われわれが一つの分離する名辞をもつ場合、そこにはそれに対応する一つの分離する事物が必要とされねばならないということを、われわれをして思わせるべく、その影響について考えをめぐらしてきた(P.P.,I, p.246)」とジェイムズは言う。
(18)S.P.P., p.199
(19)ヒュームのA Treatise.,Book I,Part III,Section II,III,IV,XIV,XV等を参照せよ。
(20)S.P.P., p.199
(21)ibid.,p.35
(22)ibid.
(23)ibid.
(24)C.E.R.,p.413
尚、ジェイムズによるカントとヒュームの思想の比較検討は『哲学の諸問題(S.P.P.)』の二○一頁以降、詳細になされているので、参照しておくべきであろう。
(25)M.T.,p.102
(26)Prag.,p.68
(27)ibid.,p.67
(28)ヒュームのA Treatise., Book I,Part IV,SectionVIを参照。
(29)とはいえ、実際ジェイムズの考えにもあいまいな箇所が被い。言うまでもなく、これは「生の流れ」の問題を理論的にとりくんでいこうとする場合の宿命的な制約によるものである。たとえば彼は主客未分の世界、即ち純粋経験の世界について考えだすのであるが、これについてもあいまいであることは、ペリーやワイルドの指摘するところである。これについては拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』、第二章、第七節を参照せよ。
(30)Husserliana,Bd. XIX, p.194
(31)Husserliana,Bd. VI,p.88


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